冬支度
2015年 11月 10日
大根を44本、畝から抜き、土を洗い落す。
沢庵を漬けるのだ。
家族が多かった頃は200本以上も漬けていたけれど、
今は44本でも、十二分に余裕をみた本数である。
師匠(母)のやり方は、大根4本の葉を束ね、
雨の当たらない、しかし、寒風にさらされる場所に架ける。
曾祖母はワラで一本一本を編むようにくくり、
スダレのようにして干したものだが、
それからすると、かなり手抜きというか合理的になったと思う。
それともこれは下干しであって、
いいかげん水分が抜けたらスダレ状に本干しをするのかもしれない。
大根の肌はすべすべして、撫でるのも気持ちいい。
幼い頃は家の前を流れる川で、大根を洗った。
縄をまるめたタワシで、くるくると大根をこすると、気持ちよく土が落ちた。
その当時は、今よりもっと冬が寒かったのだろうか。
山と積まれた大根の白さと、かじかんで赤くなった手が、
日が暮れてしまうまでに洗い終えなければという焦りとともに、記憶に残っている。
天気がよく、空気がカラリとしていたので、
干していた大豆をサヤから外すこともした。
本来は、先端が二股に分かれたY字型の棒で
叩いて落とすのだが、
しまい忘れてしまったわ、と師匠。
大豆は来年の種用で、たいして量もないため、
師匠は、小鎌の柄で叩く。
大豆がとび散るので、ハル(師匠の孫)のレジャーシートを敷く。
曾祖母はたしか、ムシロを敷いてやっていた。
落とす豆の多い時は、敷くだけではなく、ムシロを立てて周りを囲った。
何枚もあったムシロは、どこへ行っちゃったんだろ。
師匠。やっぱり、ムシロがいいですよ。
コロコロと大豆が出てくる。
サヤの殻や土なども混じっているので、取り除かなければならない。
プラ製の箕(ミ)、登場。ホームセンターで購入。
あおると、大豆とごみの重たさの差で、選別される。
風のチカラを利用した「風選」という方法。
大袈裟な装置も、電気も要らない。
しかし、プラ製は、すべっとして網目がないので、
大豆のころがり具合に違和感があるといえばある。
今ひとつ、こまかいごみを取り除きにくいと感じるのは、丁稚(草子)だけだろうか。
師匠。そのうち本物の箕を買いましょうよ。
と言うと、
昔ながらの箕は高いのよお。
8000円くらいもするんだからあ。
という返事。
そりゃまあ、プラ製に比べれば本物は安くはないだろうが、
使い勝手がよく、減価償却で考えれば、さほどでもなかろう。
そのうちに買うぞ。と決心した丁稚であった。
カラになった豆の木は、簡単には捨てない。
よく燃えるので、
旧正月の行事「さいの神」をつくるときに
家々から持ち寄られるのである。
おもしろおかしくもない長文を、最後まで読んでくださった方。
たいへん、ありがとうございます。
何年もブログをやっているうちに自然と変わってきたので、
カテゴリ整理もやりたいなあ、と思ってだけはいるのですが。
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by green-field-souko
| 2015-11-10 16:15
| 畑でわたしは考える