ずっと生き難かった。ため息と深呼吸の備忘録。


by 草子
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誰が風を見たでしょう?
ぼくもあなたも見やしない
けれど木の葉をふるわせて 風は通りぬけてゆく



風_c0145183_18445220.jpg


誰が風を見たでしょう?
ぼくもあなたも見やしない
けれど樹立ちが頭をさげて 風は通りすぎてゆく

作 クリスティーナ・ロセッティ
訳 西条八十



伐られてしまった樹の、いのちは戻らない。
でも、風はかわらずに
樹の在った場所を通り過ぎ、その魂をなぐさめるから。




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Commented at 2016-10-02 09:13 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by green-field-souko at 2016-10-03 01:43
■2016/10/02 09:13の鍵コメさま
ありがとう。気分転換してみました。見づらくないかしら?
全削除してしまうには長くやりすぎたようです。
カテゴリ整理をしたいんですけどねー。
あちらも残しておきます^^

Commented by Amelia42 at 2016-10-03 14:02
夜中に草子さんの「風」を見つけた時
瞼が落ちそうなほど眠い目が脳が、一瞬で覚めました。
まさに今の心境そのもの。後で愚痴らせてください。
Commented by green-field-souko at 2016-10-03 16:30
■Ameliaさま
小学3年生のときにC・ロセッティに出会いました。
母からの誕生日プレゼントの詩集だったと思います。
それで、なんとなしに検索してみたら、懐かしい作品が出ていたので載せてみました。

はい。どうぞ、お気軽に^^
Commented at 2016-10-04 16:37
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by green-field-souko at 2016-10-04 21:19
■2016/10/04 16:37の鍵コメさま
わたしね、思うんですよ。土地の所有者とか、行政区域とか、
人間の勝手な取り決めに従って、自然の樹が存在しているわけじゃないのに、ってね。
ナチュラリストじゃ、わたしはないけど、愚かで傲慢なやり方に対する怒りはありますね。

じつは、この記事は、あるブロガーさんの記事に反応して、その方とのやり取りから
書いたものです。
http://since1991.exblog.jp/24662824/

そんなに自分を責めないで。伐られたら、わたしたちは樹を植えましょう。
それは心のなかに、でもよいのだと思います。
森は100年スパンで考えるものではないですか。
哀しみが落ち着いたら、ゆっくりと、種を蒔き、苗を育てましょう。

Commented at 2016-10-07 18:06
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by green-field-souko at 2016-10-07 21:24
■2016-10-07 18:06の鍵コメさま
お役に立てなかったみたいで、ごめんなさい。

日本には、八百万の神と、あきらめの文化が在る。と思っています。と言えば伝わるでしょうか。
特別扱いの樹、無名の樹、そういうことはわたしには分かりません。人間のつごうに関係なく、樹は樹ですから。
そうですねえ。そのひとにとっての思い入れのある樹、というのかなあ、と思うだけです。

事情があっても樹を伐るのは、たいてい気が進まないことだろうと思います。
樹に酒をかけて、こうこうこういう理由であなたを伐らなくてはいけなくなった、申し訳ない、勘弁してくれ、今までありがとう、という儀式をして伐るのです。こちら地方では今でも。人間のための贖罪の儀式だろうと思います。
by green-field-souko | 2016-10-01 18:51 | 日々の照り降り | Comments(8)