ずっと生き難かった。ため息と深呼吸の備忘録。


by 草子
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美しいモノ



「散った桜の花びらみたい」と、わたし言う。
「ちょっと螺鈿に見えなくもないような」と、学芸員さん言う。

遺物のような、コラージュのような、地球外物質のような。
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これは、なんでしょう?


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by green-field-souko | 2012-10-23 23:50 | とるに足らないモノコト | Trackback | Comments(10)

今夜のアテ




畑から採りたての小蕪を、
焦げ目がつくくらいにフライパンで焼き、
火が通ったら、塩をパラリ。
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うちの畑で、きくらげはつくっていないので、
産直で買った生のきくらげを茹で、
玉ねぎドレッシング(おろし玉ねぎ・酢・塩・オイル)で。
スライス玉ねぎで、かさましして、ついでに枝豆をトッピング。
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本を読んでいたら、目が冴えてしまった。

by green-field-souko | 2012-10-22 01:18 | ときどきプチ野菜料理 | Trackback | Comments(6)


広い砂浜は、かつて、海だった。
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その海は家まできていて、住まいから直接、船を出せたし、
嵐の前には、ガレージに車を入れるように船を片づけたものだった。

50年前、手漕ぎの木造船にエンジンが積まれると、漁はラクになった。
それから船は木製からFRP製に替わり、大型化して、遠くまで漁に出て行くようになった。
流行りの船は高価だった。しかし、いっぺんで、たくさんの魚が獲れた。
家族はもちろん、親戚や近所のひとを手伝いに頼んで、
夜なべで漁具をととのえなくてはならないハエ縄漁のやり方では、
設備投資、経費、漁獲高、暮らし、なにもかもが追いつかなくなっていった。

30年前、売値の安いイワシやシイラをやめて、タラ、高級なノドグロを獲るようになった。
「釣ったノドグロは旨い。網で獲ったのとは違う」
「較べものにならないほど違う」
「どうしてもと頼まれて届けると、大喜びで、おかわりしたそうだ」
と、誰もが知る政界人の名前が、おじいちゃんの口からこぼれた。

ハエ縄をやる漁師は、このあたりには、もういない。
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陸へ上がって4年が経つ。
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引退して1年半のころ、同じ齢ごろの元漁師仲間と話がまとまり、4人で海へ出た。
ひさしぶりの海に、心が躍った。
ところが、いざ仕掛けを出しかけたところで、一人が具合わるくなり、
あわてて港へ戻ると救急車とパトカーが待っていた。

それから船には乗っていない。



そのうちに4人が3人になり、
いつかまた仕切り直そうなどとも、顔を合わせても、言わなくなった。

「漁の道具はもう要らないから、みんな持っていけ」



木造船時代の漁具をもらうつもりで行ったのだけれど、
船小屋の平面図をとり、撮影して、話を聞いて、とりあえずおいとました。
もう要らないなんて言ったけど、
おじいちゃんは、まだ全然、想いを片づけられないでいるから、
「持っていかないと捨てるぞ」と言われても、今は、まだ、もらえないという判断。




帰り道で、泣きそうになった、と言ったら、
「大丈夫。まだまだ、お元気で、海を諦めていないから」
「介助があれば、きっとまだ魚獲れるね」と、ハエ縄漁を記録したがる学芸員さん。

あの日のおじいちゃんたちは、
〝スタンド・バイ・ミー〟みたいだったのかもしれない。

もう一度、海へ出してあげたいなあ。


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by green-field-souko | 2012-10-18 10:49 | 日々の照り降り | Trackback | Comments(16)

先週の現場弁当


気にかかっているものから片づけよう、と思って
エクセルを立ち上げたら、
ゆっくりと元気が抜けていく気がした。



 :

だめじゃん。
でも、つかれたあ。


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by green-field-souko | 2012-10-16 12:48 | のらべん | Trackback | Comments(8)

つめたい雨が降っている



見送らなかった。あえて。

昨年わたしは甘かった。

寄って行ってあげたりする余計なやさしさなど、要らなかったのだ。

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テッペンを見せてもらっている。
今後、わたしが、これを使う機会はないだろうけど。
リベンジ。
気持ちが冷えて、すうっと落ちついた。

by green-field-souko | 2012-10-15 10:19 | 日々の照り降り | Trackback | Comments(2)

ふかし芋



お客さまに、と言いながら、かーちゃんは畑から掘ったさつま芋を蒸す。

また芋か...と、さつま芋や南瓜を好きじゃないわたしは思うけど、
90歳のおばあちゃんは、「一番のごちそう」と喜ぶ。
今日のお芋は、安納芋スウィートパープルで、
(たまたま補色になっていて)カラーコーディネイトも、なかなかきれい。
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徒歩圏内にしゃれたカフェなんか
昔も今もあるわけないド田舎の住民は、そういえば、
お茶のみしましょうと誘い合って、こういうものを茶菓子にしていたっけ。
どこのうちでも米と野菜をつくっていたから、
お金がなくても、お互い気遣いなく、お茶のみができたのだな。

さらに、そういえば、
酒客には、とりあえずお漬物で、つないでもらっていた。

昭和という時代って、よかったかもしれない...しみじみ。

by green-field-souko | 2012-10-14 13:00 | そうるふうど | Trackback | Comments(12)

鮭中骨のやわらか煮



このあたりでは、寒くなってくると、近隣の河川に鮭が遡上する。

さして大きくもないが、穀倉地帯ゆえか、川は幾筋もあって、
そうした川を、鮭は昔から、のぼってきた。
浅瀬に入った群れに竹棒を差し込むと、
ほんとうかどうか、
ひしめき合う鮭で竹棒が倒れないまま移動する風景もあったらしい。

魚といえば鮭をさし、
鮭は大晦日の膳を豊かに彩る年越し魚であり、
身近ではあるけれど、
しかし贅沢な食材として、このあたりでは、骨の一片も余さないよう扱ってきた。


そうした、産卵のため川をのぼるところを獲るシロザケ(カワザケ)は、
当然、スーパーで売っているような
キングサーモンやギンザケのように、たっぷりの脂はのっていない。
昨今、カワザケはパサパサして旨くないとされるが、
それでも、どちらがよいかと訊かれれば、わたしなどは、やっぱりカワザケがよい。
それは、単純に舌だけでは決められない味覚の部分、なのだろうと思う。


ありがたいことに、カワザケは、まあ安い。
しかも、あらは、もっと安い。
かーちゃんは今でも、寒くなってくると、あらを煮る。
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軽く生醤油で煮てから、あらためて水、酒、砂糖を加えて煮るのが、かーちゃん流儀。
生醤油で煮て身をしめておかないと、骨まで柔らかく煮える前に崩れてしまう。
「圧力鍋で煮てみようかな」と言うと、
「ストーブのとろ火でないとだめ、簡単に済ませないの」と怒られた。

by green-field-souko | 2012-10-14 12:25 | そうるふうど | Trackback | Comments(10)

茗荷の油炒め



畑の端っこの日陰に、茗荷のひとむらがある。
何年経っても、増えもせず、絶えもせず、
ありがたいことに、わりと遅い秋まで花を咲かせてくれている。

茗荷は、花を食べる。

象牙色の花は、地面で咲くのだけれど、
ぽつぽつ点在しているさまは、樹上から散り落ちた花びらのようでもあり、
ものの陰からこちらを伺っている女のようでもあり、

いそいで摘まなければならない気になってしまうのは、
茗荷の花のいのちが短く、
つめたい露に朽ちていく姿に、哀れを思うからかもしれない。



砂を流水でよく落とした茗荷は、ざくざくと菜切り庖丁で刻む。
それを、菜種油を熱した鉄鍋へ一気に入れる。
菜箸でかき混ぜながらよく炒め、
熱がまわったところで、酒をジャッと加え、醤油をからめて味をととのえる。
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茗荷を食べすぎると物忘れをする、というが、
昔むかし、茗荷の咲く郷に迷い、戻れなくなった旅人が居たのだろうか。
もし、そんな言い伝えなどがあるとしたなら、
旅人は、忘れることを選ぶしかなかったのだろうと思う。

by green-field-souko | 2012-10-14 11:32 | そうるふうど | Trackback | Comments(6)