ずっと生き難かった。ため息と深呼吸の備忘録。


by 草子
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カテ飯



民俗資料館がらみのことから、
カテ飯(かてめし)を実験的につくってみた備忘録。

昔むかし、農家にとっても、お米は貴重で、
自分たちが食べるときは混ぜものをして、かさましをはかっていた。

かさまし材は、その時々に採れる野菜や雑草。
生や干したものをこまかく刻み、ごはんに加えてボリュームアップする。
刻んだ大根などを茹でてから炊いたごはんに混ぜ併せるとか、
生のままいっしょに炊くとか、
かさまし法は家庭によっていろいろ。

昔の農家は忙しく貧しい。
おいしさよりも、胃袋を満たすことが、まずは大事。
燃料や調理の手間を軽減するよう、
刻んだ大根の実と葉を、わたしはじかに炊き込んだ。


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カテ飯のカテは、どういう字があてはまるのだろう。
民俗は片仮名表記が多いのでわからないが、
もしかしたら、「カテ」は「糧」ではないかと想像してみる。

カテ飯は、単純にごはんを増やすというよりも、
備蓄米を減らさないための切実な意識が背景にある。
今でこそ米は余っているけれど、品種改良や栽培技術が未熟だった昔は、
毎年、順調に収穫できる保証はない。
現金は乏しい。
飢餓に陥るのは簡単なことだった。

つくってみたカテ飯は、なかなかおいしいものだったけれど、
古いお米だって大事に食べていたころには、どうだったか。
「うんまくねー。へえ、おら、喰わんたっていいのお」
と、地元の老人は笑いながら言っていた。



カテ飯が残れば、さらに、かさまし材を加えて雑炊にした。
残った味噌汁でふやかし、囲炉裏で煮てふやし、
食べたらすぐに布団にもぐったのも、空腹をごまかす知恵だった。

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残ったカテ飯を、わたしも雑炊にしてみたが、
ひもじくなって、たまごをひとつ落としてしまった。

当時、たまごは贅沢品で、
鶏を飼っているひとなら、まちへ持って行き物々交換をしたり、
売れれば帰りに家族を喜ばせる品物に換わった。
戦後間もない70年前ころは、そんな暮らしだった。
さて、つぎに戦争が起こったら、どんなふうになるのだろう。






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Commented by fusk-en25 at 2018-07-05 05:01
戦後まもないどころか。10年ぐらいはまだ卵は貴重品でした。
農家でなくても家で鶏を飼っていたり。。
病気見舞いにボール紙の箱に籾殻を入れた卵をもらったりしました。
Commented by kaze-to-hikari-to at 2018-07-05 20:41
草子さん、こんばんは☆

カテ飯とは少し違いますが、父がよく「あんぼ」の話をします。
あれはまずかったなぁ…と。

くず米(父は他の呼び方をしますが忘れました^^;)で作るので本当に嫌いだったと。
でも秋に実った柿を屋根裏に保存して、甘く柔らかくなったものを混ぜたのは美味しかったそうです。

ニワトリも飼っていたようですが確かに卵が口には入ることはめったになかったようです。
屋根裏は夏はお蚕さん、秋冬はニワトリがあがっていたようで、囲炉裏の下で食事のときには一年中いろんなものが落ちてきたそうですが、誰も気にしてなかったと(笑
Commented by kogechatora at 2018-07-05 22:21
子供の頃には、お店で買ってきた卵でも
二黄卵や血管の入った受精卵が紛れ込んでいた記憶があるけど…

今どきの卵はどれも同じくらいの大きさで同じような色形、
鶏が産んだ卵ではなく
ニワトリという名の機械が作った蛋白質の塊ではないかと思うのであります。

食べ物の恨みは残るもの
戦時中に学徒動員された私の父、惚けた今でも当時の記憶は未だに残り…芋と南瓜は絶対に口にしません。
Commented by rollingwest at 2018-07-08 11:12
おっまた地元の民俗資料館のお仕事が入りましたか!縄文展示の時のようにまた何か足跡を残されていますかな?食糧を大切にされる心、頭が下がります。
by green-field-souko | 2018-07-05 04:04 | そうるふうど | Trackback | Comments(4)