ずっと生き難かった。ため息と深呼吸の備忘録。


by 草子
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でんぱたの行く末を考える

 うちのほうの田畑事情を、ちょこっと。この場合は、「たはた」ではなく、方言かもしれませんが「でんぱた」と読んでくださいね。

 資産価値が低くて売れない。そうはいっても、みっともなくて荒らしてもおけない。先祖代々あるものだから、半ば仕方なく自家消費を目的に、テキトーに野菜をつくっている。うちみたいな農家や農家もどきは、近所にごろごろしています。それだって今のじーちゃん・ばーちゃん世代の話で。次はどうなることやら。
 わたしなんかの同級生でも、専業や兼業で農業を続けているひともいます。でも、わたしを含め、とっとと会社勤めを選んだクチは、当然ですが、てんで使いものになりません。

 「自分とこの農地の場所や境界くらい憶えとけ」と、さんざん、とーちゃんに言われても、整然と区画された田んぼは、どれも同じに見えてしまうのです。耕作を委託させてもらうまで、自分も手伝っていた田んぼなんですが、どうもいけません。わたしはひどいほうかもしれませんが、みんな五十歩百歩ではないかとふんでいます。

 職人系の仕事はなんだってそうでしょうが。急に「やれっ」たって無理なんです。農業もそういうものなんです。
 「百姓仕事を手伝わなくていいから、じじばば分の家事炊事もやらなくていいから」なんて言われて都市部から嫁いだお嫁さんなんか、いまさら大変だろうと思います。「やらなくていい」「やりたくない」だったのが、じじばばの高齢化とともに事情も変わってきます。しかも相手は、処分するにできない農地です。ほおっておけば、「あそこんちの嫁は」なんて、コウルサク言われます。

 うちのじじばばは、まだもうしばらくは使えそうですが、それだって時間の問題です。わたし、突然、畑をやることにでもなったら、どうしよう。わずか手伝ったことがある程度で、なにしろ、技術やノウハウを継承していません。反面、やっぱり、せっかくあるものを、みすみす荒らしておくのはもったいない。ワンガリ・マータイさんじゃありませんが、MOTTAINAIです。

 土地の評価額はタダ同然。大規模農業に使えません。現金を稼がない農地なので投資はできません。だけど、捨てちゃあMOTTAINAI。
 プチ百姓における持続可能なサイクルはないものか。いろいろ考えると、これはもう、江戸後期あたりの暮らしぶりまでさかのぼってしまいます。徹底的なリサイクル社会が機能していた時代。お金がなくても気楽に暮らしていた(らしい)江戸人の発想と価値観-----。

 ともあれ、うちもぼちぼち、じじばばといっしょに、畑のゆくすえを考えないといけない時期かもしれません。大変です。
by green-field-souko | 2007-12-14 07:09 | 畑でわたしは考える | Comments(0)