ずっと生き難かった。ため息と深呼吸の備忘録。


by 草子
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食べるのネガポジ

 食べる、という行為に、ある種のあさましさを見たのは、12歳の春だった。

 斎場の控え室で。お葬式は、よく遊んであげていた、4歳下の隣りの女の子だった。こんなことがあるのだろうかという不慮の事故。たいして列車など通らない、田舎の単線の踏切を駆けて渡りかけたところに、急行列車がきたという話だった。

 女の子は、棺の中で、どうみたって眠っているようだった。死を受け入れろったって急には無理だ。実感がわかず、泣けるまでに至れない。女の子が死んで、焼却炉で燃やされ、お骨になるのをみんなして控え室で待っているという現実は、薄ぼんやりとした、わるい夢の中に置かれたように思えた。

 周りが号泣していても、わたしは泣けない。頭の中で、女の子の声や、笑った顔を思い出していた。何度も勧められて、やっとのことで、お茶をひとくちだけ飲み下した。お茶を淹れ替えてくれながら、親戚のおばさんは、女の子の生前のお礼を言い、叫びながら泣いた。そして、すぐに、塩むすびをほおばった。べつのひとは、おまんじゅうやおせんべいを、口へ運んでいる。

 だれが死のうと、生きている者は生きるために食べる。食べ続けなければならない。食べるという本能と行為、食べる人間の姿というものは、なんて醜いのだろうか。だれだっておなかはすくし、食べなくちゃ仕方ないのはわかっていても、どこか許せない気がした。

 いま、こんなふうにして、〝食べるのポジ〟で野菜料理なんかもUPしているけれど。ときおり、〝食べるのネガ〟を考えてしまう。だれかとごはんを食べるのは、いまも好きではない。とりわけ元気のないときなど、あさましいであろう自分の食べる姿を、あの日の塩むすびに重ねてしまうのだ。
Commented by せーん at 2008-02-27 16:18 x
おんなじこと考えるなぁ。食べるっていうことが気持ち悪くって吐きそうになるんだよね。食べるのポジ、かぁ。なるほど。
Commented by green-field-souko at 2008-02-27 20:35
せーんさん (自分のことを棚に上げて・・・)大丈夫ですかあ?(笑)
すこやかなひとって、ばくばく食べますよねえ。そういう姿を眺めているのはかなり好きです。うん、食べさせたいひと、かな(草子)
Commented by ごきげん at 2008-02-28 00:39 x
おそるおそるお邪魔いたします。
いつも楽しく、かぶりつきで拝見しています。

食べることは生理(感覚としての)に直結している、と理解したのは幼少時。
以来、食事が苦痛で仕方なく、とにかくこの苦痛を速く終わらせようと
ものすごいスピードで食べるくせがついていました。
すきな人たちと食べる食事はおいしい、
ということを実感したのはここ数年のお話で。
おいしそうに食べるよね、と今日ちょうど言われたところです。

食べることのポジとネガ、という表現に感動して。
いつも意識していることだったのでつい長々と・・・失礼しました。
Commented by green-field-souko at 2008-02-28 05:21
ごきげんさま 好き勝手たれ流しみたいな、わたしのブログをお読みいただきありがとうございます。とても嬉しいです。
食べることは生きることでもあって、バイオリズムの下降時は、その貪欲さがどうにもつらかったりしますが。おいしそうに食べられるごきげんさんは、ご自身が思う以上に、いい感じで生きてらっしゃるのでは。おいしそうに食べるひとは、いっしょに食べる周りをハッピーにする才能を持つ、素敵なひとだと思います。
おそるおそるとはおっしゃらず、また、お気軽にどうぞ。(草子)
by green-field-souko | 2008-02-26 08:29 | 日々の照り降り | Comments(4)