ずっと生き難かった。ため息と深呼吸の備忘録。


by 草子
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もやの朝

もやがたなびく辺りまで、昔はが広がっていたそうです。
物資やひとをのせて、川舟や蒸気船が広い水路を通り、
いまは天然記念物のオニバスが、鮒や鰻といっしょに、露店市場に食用で並んでいたとか。

田んぼには、ひこばえ。
刈りとられた稲が、残っている株から出す次の穂が、ひこばえです。
この地では、冬に区切られるため、ふつうの時期に刈ると実は入りません。
もやの朝_c0145183_6581668.jpg


 とーちゃんが若いころ、大幅増の減反割り当てがきました。政府による青刈りの命令、生産調整のお達しです。言うことを聞いてみんなで仲よく青刈りをしてくれれば、ごほうびにおだちん(補助金)をあげるよ、という政策です。農民ですから、なんといっても、補助金よりも収穫なのですが。頭にきたとーちゃん、「せば、こうしてやるわい!」と、率先してさっさと青刈りをして、すぐさま肥料をたっぷりくれました。

 早々に刈られた稲はひこばえを出し、肥料をすって実り、鶏にやる程度の米は採れました。出荷できる米が採れるはずないのに、それでもとーちゃんはどうしても、春浅いころから手をかけてきた「米」を、収穫したかったのだろうと思います。次の年も、早い青刈り(しかも浅く刈る手法)×追肥をやりました。同じことをするひとが増え、その次の年くらいに、青刈りに追肥をしてはいけない、というオフレが農協からまわってきました。

 このころです。「おまえは百姓なんかするな。しなくていいい。こんな馬鹿らしい商売は」と言いはじめたのは。福島潟の干拓地では、減反政策に反対する農民グループが、幟旗を立てて古タイヤを燃やして抗議をしていました。ちょっと(かなり)やんちゃだった、とーちゃんも誘われましたが、そうしたことはせずに、さっさと大きな鉄工所の臨時雇いに出かけてしまいました。

 当時は、資格をとって溶接をやる傍ら、社長とその家族の運転手(兼ボディガード?)なんかを、やっていたようです。社長令嬢を高校まで送っていったところ、「玄関に生徒全員の寄付金の額が貼ってあってな。それがなあ、たいした額でなあ、たまげたこてや」なんてカルチャーショックを、何度も感心して言っていました。

 百姓のほうがよかった? 勤めのほうがよかった? と、あるとき訊いてみたところ、「うーん」と唸って「そンだなあ」と、考え込んだっきりになってしまいました。
Commented by oja03052 at 2008-10-17 14:06
美しい写真です。
Commented by green-field-souko at 2008-10-17 15:52
■oja兄さま ありがとうございます。はやく治りますように。
そんなに深刻だとは思わなくて茶化してしまった。ごめんなさい。
Commented by RW at 2008-10-17 19:31 x
実利を考えれば「減反政策」や「サラリーマン生活」も受入れざるを得なかったのかもしれませんが、「本当は土に生きたいという」お父上の頑固な意志・意地が感じられますねえ・・。

写真は本当に絵画のようです。
越後の雄大なる田園や潟風景は、やはり豪雪の山々と雪解け水が造形した広大な堆積地なんだなと改めて感じます。
Commented by green-field-souko at 2008-10-17 19:53
■RWさま どうも、ありがとうございます。福島潟の風景は、新潟の
DNAをお持ちのヨモギさんが、これから「ヨモギ日記」で見せてくださるかも。
いつもきれいな写真を撮られる方なので、わたし楽しみにしているんです。
Commented by oja03052 at 2008-10-17 20:28
めずらしく もう一回コメ。
大丈夫 そーゆーんじゃないからね ふつーふつー♪
Commented by green-field-souko at 2008-10-18 06:43
■oja兄さま ハクション大魔王、早く居なくなるといいね。
この間、眼鏡を替えたら、裸眼両眼で0.2に落ちていました。とほほ。
by green-field-souko | 2008-10-17 07:16 | 畑でわたしは考える | Comments(6)